二階堂黎人『カーの復讐』(講談社)レビュー

本日のエピグラフ

 《ホルスの眼》さ。(中略)神の眼ならば、密室も、鍵のかかった部屋も妨げにはならない。その慧眼で、すべてのものを見通すのだ。(P158より)

カーの復讐 (ミステリーランド)

カーの復讐 (ミステリーランド)


 
ミステリアス8 
クロバット8 
サスペンス8 
アレゴリカル9 
インプレッション8 
トータル41  


 「カー」とは、古代エジプトの生霊(信仰)だと作中で説明はあるが、しかし「カー」と言ったら、ツーではなくて、やっぱ彼しかいないわけで。歴史学者やハードボイルド作家のことではありませぬよ。…………いや、正確に言うとカーターのほうですが。――作中で言及される《ホルスの眼》は、明らかに「ユダの窓」の問題意識を引き継いでいるわけである。<密室>に穿たれた穴は、刑務所の監視窓から、“神の眼”に変換され、またこれは「あの世とこの世を繋ぐ門」だとも言う。まさにこれは、怪盗であると同時に新聞社の大株主でもあるルパンという存在の、近代市民社会の法=規範を超越し、大衆メディアを通じて群集の人心を掌握したこの怪人物の謂いに他ならない。この<怪人>性に魅せられた大乱歩に対するオマージュ的シチュエーションも過去の二階堂作品同様、本作にも埋め込まれている(実は、これが、《ホルスの眼》の正体にかかわってくる)。20世紀初頭に現れたこの<怪人>は、前世紀までの<市民社会>のプロジェクトを嘲笑し、<群集>の好奇と欲望を刺激し操作したという点において、20世紀型の大衆社会の核心を体現する人物だった。それをキッチュなものにせずロマンティシズム溢れる冒険活劇にしたのがルパンシリーズの手柄で、<20世紀>にかろうじて成立しえた教養=成長小説という側面もあるだろう。ルパン・パスティーシュの本作はそれに対して、本格ミステリ的色彩を濃くしているが、作中に跳梁するミイラ男は、来るべき大戦の惨禍を不気味に予兆していると言えなくもない。“神の眼”の正体を暴いた<怪人>は、それでも<名探偵>の地位に安住することなく、エピローグで宝探しが成就することで、冒険活劇の主人公としての立場を回復する。「そうさ。世界は、このおれ様を待っているのだ」。これが、パスティーシュで、かつジュブナイルの作品でパッケージされたことを、どう捉えるか。
 喜国画伯のある種の身のやつし方にも喝采を送りたい。