加賀美雅之『風果つる館の殺人』(光文社カッパ・ノベルス)レビュー

本日のエピグラフ

 ですが私には、このみごとな庭園自体がイギリスのアイルランド侵略の象徴のように思われてならないのです。(P435より)

風果つる館の殺人 (カッパ・ノベルス)

風果つる館の殺人 (カッパ・ノベルス)


 
ミステリアス9 
クロバット10 
サスペンス8 
アレゴリカル8 
インプレッション9 
トータル44  


 リーダビリティを担保しているのが、紋切り型の調子であることは、批判するにあたらない。大衆小説とはエクリチュールと確信犯的に結託することで、物‐語のダイナミズムを追求する運動なのだから(むしろ、「紋切り型」批判こそ、そのときの支配的なエクリチュールに無自覚に結託していると言うべき――というより、支配的なエクリチュールというのは、半ば不可視的なものなのだけれども)。――だけれども、エクリチュールの集積が否応無くディスクールとして機能し始めるとき、小説空間が一定の方向に統御させられ、物語における多様なエレメントの存在により、物語内部から軋みはじめる…………これに対する有効な戦略は、複数の“語/騙り口”を採用することだが、無論逆に単一の“語/騙り口”に徹することで、あえて物‐語を軋ませるという戦術もアリだ。――この点、作者にストラテジーの逡巡があったことは否めない。具体的には、作者自身も「あとがき」で若干触れている性的描写のパートほどには、「巨人伝説」のオカルティックな演出による異化効果を、作者は発揮させていない。パットの純愛成就譚をサブ・ストーリーにおいたせいでもあるのだろうが、せっかくの“奇想”的興味のカタルシスを損ねてしまったきらいがあるのではないか。作者は、もっと冒険すべきだと思う。…………ということは別にして、ベルトランのおぢさま、2年ぶりの再会です。ワタクシ、このシリーズ、カー・オマージュというのではなくて、“おぢさま”本格と呼んでいるんですが――ファザコンのお子たちに、もっと人気出てもいいのに。あと、『アイルランドの薔薇』と地続きにするんなら、ぜひ烏賊川市ともなんらかの因縁を繋げて欲しいなあ――1930年代の欧米と。ゆけゆけオレたち同期の桜。