山沢晴雄 日下三蔵・編『離れた家 山沢晴雄傑作集』(日本評論社)レビュー

本日のエピグラフ

 ……つまり、現実の世界にそれが実現される以前に「念の世界」に於ける運命の形成がある。(中略)だから近い将来に関しての予言は可能なんだ。(「神技」P190より)

離れた家―山沢晴雄傑作集 (日下三蔵セレクション)

離れた家―山沢晴雄傑作集 (日下三蔵セレクション)


 
ミステリアス10 
クロバット10 
サスペンス8 
アレゴリカル9 
インプレッション10 
トータル47  


 セレクトが企図したものだったかどうかわからないけれども、本書を通読して、作者のミステリアスなるものの認識において、「予言」というものが、重要な位置を占めていることに気付かされる。巻末解説で、巽昌章は、「論理と運命は表裏一体であり、作中人物の行動すべてを一枚の図式に取り込まなければやまない謎解きの執着は、不気味な宿命論と見分けがつかない」と作者の「世界観」を定位させている。柄谷行人は「マクベス論」で、魔女の「予言」を引き受けてしまうマクベスの肖像を論じて、個人の“内部”と“外部”の不分明さを指摘しているけれども、たとえば、綿密に構成された犯罪計画の工程表どおりに、関係者を動かす場合、その者たちに自分の自由意志で行動したと終始思わせて、操らなければならない。この<犯人>の犯罪意思は、自身も属する<世界>の“外部”にありながら、<世界>それ自身に、この<犯人>の完全犯罪が成就する「予言」を引き受けさせようとするものであると、言えなくもないのではないか。<世界>はマクベス同様、鬱屈を抱えている。しかし、<世界>は、<犯人>の「予言」を常に引き受けるわけではない。むしろ、裏切る。そして、それにより、強烈な“ミステリー”が産み出されてしまうという主題性は、全篇に共通しているものである。この“ミステリー”性は、<作者>と作中の<犯人>の決定的差異に由来していると換言してもいい。つまり、作者には、「予言」の不可能性というシニカルな認識が、不可能犯罪をはじめとする“ミステリー”の制作意識のコアにあるものと思われる。