加納朋子『モノレールねこ』(文藝春秋)レビュー

モノレールねこ

モノレールねこ



 この作者の感覚世界を十全に展開させて満足するけれども、連城三紀彦における『恋文』的位置付けのものとなるには、あともうひとつ何かがほしい。連城において“恋愛”として表象されるある種の関係性が、作者にとっては“家族”ということになるのだろうが、しかし、『恋文』ではそれが巧みにずらされていた。表題作をはじめ集中の多くが作中の時間経過のスパンを長くとっているけれども、これは“時”の厚みの効果を意識的に狙っているのだろうが、掉尾をかざる「バルタン最期の日」における“語り手”の扱い方、ラスト2ページに、成長小説的でなしに、スタティックに関係性を切り取ろうとする作者の意思が垣間見え、新たな展開が期待できそう。――にしても、第二の藤田・小池カップルみたいになるんかな。