西村賢太『暗渠の宿』(新潮社)レビュー

暗渠の宿

暗渠の宿


 

 この「私小説」の“作者”のことをモノマニアックに規定することはとりあえず正しいとしても、葛西善蔵嘉村礒多の「私小説」に伏在していた三角関係を想起すれば、“作者”の執着する「藤澤清造」の“痕跡”が、三角の一点を占めているのがわかる。残る一点を満たす“女”の存在は、これと拮抗させられているので、つまりは性愛における真と偽を通して“作者”のイノセンスを表出する手段は禁じられているのだ。「けがれなき酒のへど」の末尾で、「もしかしたらこのおれを愛してくれる、うれしい女」との出会いを心の隅で渇望しながら、「暗渠の宿」では、暴力を受けても「大丈夫だよ、ずっと一緒にいるよ」と「童女のような表情」で笑む女に、一方では「何か冷やりとするものを感じさせられた」。このあとにイメージされるのは“破壊”そのものだけれども、それでもそこに“破滅”というニュアンスがあまり感ぜられないのは、“女”の項におけるある種の虚ろさに関係するのだろう。だからといって、“作者”が「藤澤清造」全集とセカイ系的関係を結んでいるというのは早計だと思うのですが。