米澤穂信『インシテミル』(文藝春秋)レビュー

本日のエピグラフ

 「(前略)この<暗鬼館>をデザインしたやつ、<機構>です。そこの人間は、少なくとも空気の読めないミステリ読みです」(P379より)

インシテミル

インシテミル


 
ミステリアス9 
クロバット10 
サスペンス10
アレゴリカル9 
インプレッション9 
トータル47  


 講談社ノベルズの復刊フェアで、連城三紀彦『敗北への凱旋』の巻末解説を米澤がやっているけれども、本作は連城的逆説の手触りに、作者が挑んだものとして――そういう評価もできるように思う。『敗北への凱旋』での作者の連城論とクロスするものとして、小森収のそれが挙げられるだろう(『夢ごころ』角川文庫版解説)。抜粋すると、「トリックの必然性とは、犯行が露顕した時のマイナスと、犯行の手間を秤にかけて決めるという常識を、連城三紀彦はいとも簡単に覆してみせました。恋に狂えば、人は手間暇など度外視した行動に出るのだ、という心理=真理が、そこでは働くからです」。実は、この小森の文章は、本作の“逆説”の構造をも、射抜いているのだ。「犯行が露顕した時のマイナス」はほぼゼロ、この前提の下で、「恋」を別のものに置き換えると…………。無論、“環境”を設定したのは「<主人>」であるから、彼が黒幕、“操り手”ということであるのだけれども、「<暗鬼館>」内部の“出来事”の<責任>を全て「<主人>」が引き受けるとき、果たして、中の人たちの“罪”や“正義”は一体何と秤にかけられるのだろうか。…………にしても、作中のミステリネタに接するときに、オイラのアタマに浮かんでくるのは、原典ではなく、藤原宰太郎せんせーのご著作でございました。