日暮吉延『東京裁判』(講談社現代新書)レビュー

東京裁判 (講談社現代新書)

東京裁判 (講談社現代新書)


 
 「東京裁判」という国際政治上のイベントを、イシューごとに腑分けして論じて、この国の「終戦」の諸相を詳らかにする。大きく分けても、「東京裁判」の成立過程、審理中の弁護団と判事団それぞれの内的分裂、そして戦犯釈放にいたる政治環境の変容、というふうに、国内外の政治力学と国際法上の解釈の相違が複雑に絡まり合い、それらが個別の“状況”ごとに、位相を変えて問題性が提示されるといった体なので、ともすれば全体像が混沌としてくる印象をこの政治イベントは抱かせるが、著者は、きっちりと分節化して語ってくれるので、私たちのような一般人でも、十全に把握できる内容になっている。というか、はっきりと、読み物として面白い。とりわけ、弁護団と判事団双方がメンツの張り合いで対立しているところなんかは、読みどころのひとつ。ただ、各判事にしても、母国の“世論”、政治的意思に忠実であらねばならず、それは当然「東京裁判」をプロデュースすることになったアメリカにしても同じだった。一方で、あからさまな事後法である「A級」犯罪「平和に対する罪」の類型、いわゆるニュルンベルク・ドクトリンに肯定的か否定的かで、法思想的な対立もあり、この文脈のなかで、パル判決はあるわけである。パル判決は、純粋にパル個人の見解であり、当時のインド政府の意思とは切断されていたが、その後インドが非同盟・中立主義を選択するにあたり、パル判決を政治利用した。この意味では、パルの立場は事後法批判の厳格な裁定者ではあるのだけれども、彼は反西洋帝国主義に傾いていた点で、政治性を帯びていた、と著者は結論する。――その後、冷戦に本格的に突入するにあたり、アメリカは戦争責任の追及をやめ、かくして戦犯釈放は岸内閣のときに、すべて完了することになる。日本は、とりあえず、アメリカに赦された。「しかし、冷戦後は、そうもいかない。(…)東京裁判は国際問題であり、国内問題として完結することはありえないのだから」。