星浩 逢坂巌『テレビ政治』(朝日新聞社)・佐藤卓巳『メディア社会』(岩波新書)レビュー

本日のエピグラフ

「世論とは、論争的な争点に関して自分自身が孤立することなく公然と表明できる意見である。あるいは、世論とは孤立したくなければ、公然と表明しなくてはならない態度や行動である。」/大変シニカルな定義だが、それはこの「沈黙の螺旋」仮説にナチズムの記憶が隠されているためだろう。(佐藤『メディア社会』P132より)

テレビ政治―国会報道からTVタックルまで (朝日選書)

テレビ政治―国会報道からTVタックルまで (朝日選書)



メディア社会―現代を読み解く視点 (岩波新書)

メディア社会―現代を読み解く視点 (岩波新書)



 コミュニケーション・スタディーズでは、あまりにも有名な「沈黙の螺旋」理論――「マス・メディアが特定の意見を優勢と報じると、それと異なる意見をもつ人々の沈黙を生み出し、その沈黙がメディアの報じた判断の正当性を裏付ける。そのため、社会的孤立を恐れる人々は勝ち馬を追うようにマス・メディアの報じる優勢な見解に飛びついていく。こうして特定の意見が螺旋状に自己増殖してゆき、最初の意見分布とは異なる圧倒的な多数派世論が作られていくことになる」。この「沈黙の螺旋」の提唱者であるエリザベス・ノエル=ノイマンは、「第三帝国時代にはナチ党機関紙のエリート記者であった」。彼女はナチズム内部にあって目撃した光景に、何を思ったか――解散前はほんの数パーセントの関心事であった「郵政民営化」が、選挙報道が過熱するにつれ関心トップになる。かくして族議員は泣いたが、役人たちは再雇用・天下り等で権益をしっかりと確保いやさらに拡大した「郵政民営化」、世界最大のメガバンクたる“郵貯銀行”の誕生と相成る。どう考えたって、“民業”は圧迫されるはず。南無阿弥陀仏
 奇しくも同時期に、テレメディア文化を深く抉る著作が2冊刊行された。『テレビ政治』はそのものズバリ、『メディア社会』はそれより広くかつ深いスタンスであるが、両者に共通して採りあげられるのは、いわずもがなのコイズミ現象はもちろんではあるが、なによりもハーバーマスの『公共性の構造転換』である。しかも引用されるのは両者とも、「前半部分、すなわち市民的公共性の輝かしい成立史」(佐藤)ではなく、「後半部分、マス・メディアが福祉国家の広告装置、あるいは「世論製造機」となる公共性の没落史」(同)であるのだ。「福祉国家」とは、すなわち、「個人は国家に干渉されながらも国家に保障され」(逢坂)る政治形式のことだが、この「福祉国家」の下の個々人の利害調整が、公権力批判の場としての「市民的公共圏」の「裏」や「外」にもぐってしまう。「市民的公共圏」とは、自由な議論とそれによる“輿論”の形成をもって公権力と対向する社会的機能を持たされて、これが議会制民主主義や新聞をはじめとする報道機関のいわばモチベーションの役割を果たす。そのはずが、この「市民的公共圏」の機能性が「福祉国家」的公権力を上記のように把捉できなくなると、「公共圏は、もはや自由な議論の場ではなくなり、さまざまな団体や政治家が自身の正当性や威信を公衆の面前で展覧する宮廷として「再封建化」の様相を呈する」(逢坂)。ハーバーマスはこれを「構造転換」と呼んだが、この「公共圏」の「再封建化」の際に、「沈黙の螺旋」が機能してしまうのは、想像に難くない。――そしてこれは、逢坂でなくても「ハーバーマスの議論は、戦後日本の政治とメディアの経験に、よくあてはまる」と、誰しも思うことだろう。「市民的公共圏」の「裏」や「外」にもぐる政治とは、例えば「料亭政治」に象徴されるが、田原総一朗などが先導したテレビによる政治討論の流れは、果たして逢坂の言うように、“テレビ”を「公共圏」に変えたのだろうか。“政治”にいまだ「料亭」が登場してくるというのは単なる揚げ足取りだとしても、逢坂自身による第3章の綿密な論考と検証を読むと、やはり懐疑的にならざるをえないが、もしかしたら反語だったか。…………「日本のテレビにとって「政治」は、その初期から欠くべからざる重要なソフトであった」と逢坂は述べる。60年安保のときに退陣した岸信介が、「マスコミ対策に手ぬかりのあったことは認めざるを得ない」と後に回顧しているが、これ以降政府与党は“テレビ”における「反政府的」要素にプレッシャーをかけるとともに、この“テレビ”を積極的に活用していく。57年の郵政大臣就任以来、現行のテレビ(資本)体制(メディア・コングロマリット)を創り上げてきたのは田中角栄だ。これが、のちに“新聞”の威光を完全に抜き去るほどのメガ・メディアとなる“テレビ”縁起である。「政治の季節」退潮にあわせるがごとく、政治関係のテレビ番組も停滞期に入るが、「ニュースステーション」や「朝まで生テレビ!」そして「サンデープロジェクト」放送開始以後、「テレビ政治」は再び息を吹き返す。90年代前半の「政局のアリーナ」の時代を経て、“テレビ”は「公共圏」化したのではあるが、逢坂の示した説得力のあるモデル「テレビを用いた中間集団挟撃モデル」は、まさしく“テレビ”によって「中間集団」が解体される可能性を示唆するという意味で、“テレビ”が純粋な全体主義を煽る危険を警戒しなければならないが、さりとて内藤朝雄の指摘するように、「中間集団」もいつでも“全体主義”の傾向に陥る契機はあるのだった。
 そして、この「テレビ」をいち早く政治利用したのが、ヨーゼフ・ゲッペルスである。1935年、テレビの定時放送がベルリンで始まった。――が、それから七十年の歳月が経過した現在、「今日のテレビはすでに「情報弱者」のメディアである」(佐藤、引用部分以下同)。ということは、「情報弱者」のテレビ依存率はかなり高いと思われ、ということは我らが大宰相殿は「弱者」の熱烈な指示に支えられているということになるのか。佐藤は、国政選挙が「ドラマ化」され、それを「新聞やテレビで消費することで、政治参加の儀式に参加した感覚」を味わうが、それが「空間的には離れて存在する人々を同じ国民と自覚させる」。…………他方で、このようなテレ(遠距離)・コミュニケーションに、ビデオや国際電話などの発達した情報技術が組み合わさると、「想像の共同体」のアンダーソンが指摘した「遠隔地ナショナリズム」、外国移民などが情報機器により母国(語)情報に接触し続ける結果、「エスニック・マイノリティの国民文化統合を困難に」する事態が出来する。どうやら「情報」とナショナリズムは切っても切れない関係にあるらしい。そして、この「情報」という単語は、もともと軍事用語であった…………「コンピュータ技術は、第二次大戦中の原爆開発計画において飛躍的に進歩した」。1965年、「アメリカは自由主義諸国を「情報の傘」で覆う」インテルサットを設立する。「核の傘」と「情報の傘」。冷戦(そして実質的平和)をささえた双子の兄弟である。
 「ヒトラースターリンも「黙れ」と言ったのではなく、むしろ「叫べ」と言ったのである」。『メディア社会』の中で、「沈黙の螺旋」仮説について紹介した項で、佐藤は、「さしあたりは優勢な暴力行為に抗してでも、沈黙することなく毅然とした意思を表明し続けることだけが、民主主義を守る方法だったのではないか」、と問う。この項で、某ベストセラーに仮託して問いかけられたテーマは、あまりにも切実だ。――以上、紹介した二冊は是非とも併読されたいが、とりわけ、『メディア社会』はタイトな分量のなかに、メディア研究におけるさまざまな論点が一般読者にも把握しやすいかたちで紹介されており、これを読んだ後では、知的レベルが数段上がることは間違いなく保証できる。それとともに、佐藤卓巳の他の著作も紐解かれたい。今一番、知的興奮を与えてくれる人。