折鶴の幻影



 宇山日出臣さんが急逝されたときには、追悼しそこなった。今回は、その轍を踏む愚を避けるため、あまり深いことを考えず、哀悼の意を表させていただきたく思います。
 泡坂妻夫さん、お疲れ様でした。
 『幻影城』復活版に掲載されたものが、最後のものになるのだろうか。小説家としての泡坂氏は、『幻影城』の再落成を見届けて、帰泉した。曾我佳城ものを想起せずにいられない。青瀬勝馬先生ですね。
 もうすでに、多くの方々が、泡坂ミステリのマイベストを掲げられて、氏を悼んでおられるが、私もそれらとは重ならないかたちで、一冊を挙げさせていただこう。
 『折鶴』。とくに表題作が、作者のものとしては、読み手をたじろがせるほどの、慟哭が、“時代”に対する慟哭が、きっちりと刻まれている。
 この作品が発表されたとき、この国は、まさにあぶく銭で世界経済の絶頂に昇りつめようとしていた。
 そして、現在。十年後にこの国のあぶくが弾けきったと思いきや、さらにその十年後、この国の惨状と同じ事態が、世界各国で展開されようとは。
 
(…)時の流れを斜に見て、悪いのは時代の方だ、職人は世間知らずでいいんだと、若月達の競争を冷笑してきた。見方によっては、それが職人の意地、伝統技術者の誇りと恰好よく写るかも知れないが、偽らない気持ちを言えば、忙しいのが嫌いなのだ。冒険や競争を、避けて通りたいのだ。難しい言葉は使う必要はない。ただの、怠け者だった。/若月達は修羅場にいたのだ。そして、時代の流れを、もろ、全部引っ被ってしまったのだ。/生存競争の常とはいいながら、鶴子がなぜそれに巻き込まれたのか、と叫びたくなるほどだった。そんな犠牲を払って、欲しかったのは何なのだ。結局は金――それでは、あまりにも悲しすぎる。(「折鶴」P282より)

折鶴 (文春文庫)

折鶴 (文春文庫)