高橋源一郎『「悪」と戦う』(河出書房新社)レビュー

「悪」と戦う

「悪」と戦う



 「悪」と戦うのは、何かを守るため。しかし「悪」と戦うときには、代償を支払わなければならない。何かが欠損する。何かが奪われる。そして、奪われた、というのは、私性・私的なものを根拠づける(「private」の語源である)。ということは、「悪」と戦うことによって、“私”がかたちづくられる。“私”という物語は、何かが奪われた、という現実によってしか担保されない。結末で、「わたし」が、「その「世界」の誰かが戦いをやめれば、すべての「世界」が、いや世界そのものが滅び去ってしまうから」と述べるが、この「世界」というのは、私的なものを育む環境のことだろう。子どもが“奪われた”存在になったら、それはまず否定されてはならない――あとで、その欠損が何かで埋め合わされるとしても。子どもの笑い声は、自己肯定の象徴以外の何であろう。