貫井徳郎『灰色の虹』(新潮社)レビュー

灰色の虹

灰色の虹



 復讐者を追う刑事は、かつて恋人を暴漢たちに、少額の金銭を奪うために顔を叩き潰されて殺された過去を持つ。そして、復讐者は、顔に彼を特徴付ける痣を持つが、彼が被疑者となった変死事件の「目撃者」がこれを見落とし、さらに担当の刑事に強く誘導された結果、彼が事件現場から逃げたと証言されてしまう。“顔”とは、他者性がもっとも強く発現する場所である。レヴィナスの言うとおり、裸形の“顔”は、殺すなかれと、“私”に訴えかける。であるからこそ、“顔”は隠蔽されることによって、それが発現させるところの他者性は殺されることになるだろう。この小説で示される“顔”をめぐる二つの挿話は、他者性が殺害される契機を露骨に示唆している。“顔”を毀損するか、そこから目を背けるか。そして、この他者性の剥奪なくして、国家システムは成立しない。法治=社会国家の冤罪生産システム総体に対して、復讐者は逆殺害を企てる。恋人の“顔”を毀損された刑事は、“復讐”における拭いがたい倫理性に、煩悶する。“顔”を奪われた者たちに、救済はあるか。そして、この“顔”の喪失が、“復讐者”の最後の逆襲の手段となるのである。