小林敏明『〈主体〉のゆくえ 日本近代思想史への一視角』(講談社選書メチエ)

〈主体〉のゆくえ-日本近代思想史への一視角 (講談社選書メチエ)

〈主体〉のゆくえ-日本近代思想史への一視角 (講談社選書メチエ)



 いやもうむちゃくちゃ面白い。「知的興奮にあふれた」という惹句に偽りなし。何せ、あの「主体」という語の歴史を、シニフィアンの次元で追究するのだから! 周知のように、subjectという語には、主体という意味のほかに、その正反対というべき、臣下・家来・従属者という意味も有する。この語意上の混乱は、遠くギリシャ語からラテン語への翻訳において、「実体」とその内実とされる「基体」、この二つの語がシニフィアン上類似の語形をもったということ、続いて時代が大幅に下り近代に入りデカルトが、この基体/実体モデルを、人間の思惟/精神・身体の関係にも適用してキリスト教世界から大目玉を喰らい、さらにカントが、「実体」のありかを、“対象”の背後にあるものから、それを「直観」そのものへ、換言すれば「客観」の側から「主観」そのものへとシフトさせた。語源上の意味である「下へ投じられた」ものから、「直観」=何の制約もない意識の主へ! …………このsubjectが、日本へ輸入=翻訳されたとき、どのような受容のドラマが起こったのか。西周はpredicate(=述語、「属位」)の訳出の過程から、対義語のsubjectを「主位」と表せざるを得なかったが、当初は文脈に応じて様々な訳語が当てられていたsubjectが、この「主」というシニフィアンを授けられて以後、日本においてもまた、従属するものから「主」たるものへと、この語のニュアンスが転じられていく。そして、1920年代後半の三木清マルクス研究から端を発したマルクス哲学ブームは、師の西田幾多郎の思索にも影響を与え、この過程で「主体」というシニフィアンの、日本における哲学的地位がゆるぎないものになっていく。京都学派内部でこの「主-体」というコトバは、「主権」「身体」「国体」を経て「無」というものにまで、その意味性をずらされていくのだった。戦後、不燃焼気味に終わった主体性論争を経て、学生運動全共闘運動で連呼された「主体性」というコトバは、連帯感とともに裏腹な空虚さにも侵されつつあった。1970年代の「構造主義ショック」で、「主体」に憑いていた魔術的要素は完全に祓われたものの、それが呼び表していたもの、いわばシニフィエ自体の流動性という問題、同一のシニフィアンがその“意味”を変えて、そのときごとの言説空間内部を流通するという問題性に、著者は読者の注意を喚起させる。