田中久文『丸山眞男を読みなおす』(講談社選書メチエ)レビュー

丸山眞男を読みなおす (講談社選書メチエ)

丸山眞男を読みなおす (講談社選書メチエ)



 戦後民主主義、というのに限らず、今もなお、おそらくは現在の保守主義運動をも含めた、わが国における“市民主義”のありかたに、丸山眞男の思索はその影を落としている。この本を読んでも、丸山の西洋至上主義は相対化されないけれども、問題はやはりその先、西洋近代主義の線上にある決断主義が、戦後の市民運動にある種のエネルギーを備給してきたといえるかもしれない。本書は、丸山の主要著作や、六〇年代の日本政治思想史の講義を読み込み、丸山の「主体性」をめぐる論及を閲すものだが、最初期の丸山は、近代主義の必然として、「個人主義的国家」が「ファシズム国家」へと進展することを批判していたが、四〇年代の荻生徂徠研究を通過して、近代批判からファシズム批判の近代主義の立場へと転向することになる。つまり、戦前において「近代の超克」論に見切りをつけたわけだが、この立場が、日本や中国の思想史研究を通じて選択されたというのが面白い。が、著者の推測するように、丸山もまた、近衛文麿の新体制運動にシンパシーを寄せていたふしがあり、小熊英二が指摘したように、「総力戦」という思想は、戦後民主主義というモラル構築に改めて用いられたのだが、この結節点に丸山は存在したのだった。丸山の戦後の探究は、「原型」と「原型を超えた思想」をめぐって展開されることになるが、そこで終始問われていたのは、“決断”を可能にする思想上の存在のありかたであったように思われる。