野崎六助『日本探偵小説論』(水声社)レビュー

日本探偵小説論

日本探偵小説論



 日本近代文学史、日本探偵小説史を脱構築する試み。この一連の論述での賭け金はなにか。それは、都市的「群集」の中から、「夜の放浪者」の存在を見つけ出し、それが「探偵」へと生成される契機をつかむこと、である。著者の視点は、「昭和十年前後」というパースペクティブから、当時の魔都・上海を経由(迂回)して、黄金時代・戦中・戦後へと、「探偵小説」が制作された背景を追う。結果的に、モダニズム植民地主義を引きずる作家たちの「自己発見」を、「探偵小説」が媒介した、「探偵小説」の原理が「自己発見」の契機を提供したという結論が末尾に置かれる。「夜の放浪者」という存在形態において、「犯人」=「探偵」とするなら、両者のダイアローグは必然的にモノローグに、自己追及と自己否定を内的に孕んだ当てどもないそれが、「夜」の都市の路上に振り撒かれる、という情景が浮かんでくるように思う。「探偵小説」の原的イメージだけれども、おそらくは、“探偵=小説”であり、また“探偵=小説家”であること、「探偵」というコトバのなかに、存在と行動、二つの位相が重畳しながら織り込まれているのが、意識的にか無意識的にかこの文学形態にコミットした作家たちの、小説家としての再帰性のありようをあからさまにするのだろう。しかし、「探偵」がまた虚ろな存在者であることは、この文学形態が植民地主義の亡霊に未だ憑かれていることからも明らかだけれども。