柳広司『百万のマルコ』(創元推理文庫)レビュー

本日のエピグラフ

 「しかしなんですね。つまり連中は、(中略)名前まで改めてしまったわけですね。(中略)いかにも神の栄光に浴さない異教徒、未開人の考えそうなことだ」/「“最初に言葉ありき”。(中略)そう教えているのは、ほかならぬ主御自身のお言葉、つまり聖書だと思ったのだがね」(「掟」P154より)

百万のマルコ (創元推理文庫)

百万のマルコ (創元推理文庫)


 
ミステリアス9 
クロバット8 
サスペンス7 
アレゴリカル9 
インプレッション9 
トータル42  


 ホラふきマルコの辺境冒険譚。マルコが黄金の国ジパングを訪れたことがなかったのだとしたら、さてほかの探偵小噺のモトとなった辺境地には果たして…………なぜ、「ホラふき」が「イル・ミリオーネ」となるのか。柄谷行人は『マルクスその可能性の中心』で、商人資本は、互いに隔たった相違なるシステムの中間にのみ存在する、即ち異なる価値体系間の<差異>が利潤の源泉で、商品において“交換”以外に剰余価値を生むものはない、と言った。マルコの騙る“物語”には、真実に、どれくらいのコストがかかっているのか。彼の辺境譚の“剰余価値”が、あてどもない若き囚人たちを解放するのだけれども、マルコは紙きれをのこして、ジェノヴァを後にする。ヨーロッパに通用する“価値体系”との、その<差異>の対象となるのは、辺境地の奇習ではなく、あくまでマルコの機知そのものだが、「辺境」それ自体も法螺の結晶だとしたら、<差異>の対象はマルコという知性そのものとなる。さらに、この「百万」のマルコとの<差異>の対象となったのは、大ハーン・フビライもまた、ということを誰が否定できるだろう。――“「百万」のマルコ”の前で、<帝国>は二重写しされる。