藤原帰一『戦争解禁』(ロッキング・オン)レビュー

本日のエピグラフ

 日本では「アメリカの狙いは石油とイスラエルだ」って言うと、誰もが納得するんですけど、「本気で民主化なんだ」って言うと、そんなバカなことを信じる人間が世界にいるのかって顔をされる。(P228より)



 
 9・11より6年分の藤原帰一インタビュー集。地獄への道は善意で敷き詰められている、を地でいった、対テロ戦争アメリカ発イラク民主化」革命のドロ沼を、容赦なく剔抉する――「最悪のシナリオ」を“予言”するかたちで。しかも、これが、伝統的な勢力均衡派のオーソドクシーの立場からの見立てであることに思い巡らせば、まさにメリケンさんは、21世紀型の<戦争>を戦ったことになるのかも――いわゆる覇権安定理論とも少しズレているし。って「先制攻撃」ってか。でも、これも「“自衛”のための戦争」の、延長線上であって。収録されている酒井啓子との対談で、酒井はフセイン裁判をはっきり「革命裁判」、フセインをルイ16世だと喝破した。そして、革命勢力が目論んでいるのは、イランよりもラディカルな「イスラーム政権」の樹立だと。で、この物騒な動きに、メリケンさんは増派をもって対抗する、と。ちゃんと選挙やって選んだ政権なのに。「デモクラシーの勝利」って言ったのに。…………「でも、一般的なアメリカ人は「それは本当の民主主義ではない。テロリストもどきが自由な選挙で選ばれるはずがない。選挙がどこかで間違っていたはずだ」と考えてしまう」と著者は言う。いずれにせよ、あとはイランを押したり引いたりというところなのだけれども、アメリカの「民主化」というものに対する反復強迫のような意識って、やっぱり南北戦争が外傷原因じゃありゃせんか。リンカーン共和党だったし。ただ、南北戦争以後、北部産業資本のもとに南部市場が統合されて、アメリカが飛躍的に工業化・都市化を遂げていくように、「人権」的なフィクション(これを「解放」と呼び変えてもいい)は、<市場>の拡大・発展と密接に関係している。これが、植民地主義における主観的内実を支えてもいた。…………そして、現在、本来は「人命」という本質を守るために採用されたはずの「人権」というフィクションが、「人権か、人命か」という、二項対立になってしまうという、矛盾が苛烈化した情況にあるわけだ。ネオコンの出自は転向左翼の近親憎悪だけれども、やはり「民主化」という理念には、“<市場>化”という反射的効果の目論みが、表裏一体のものとして存在するのだろう。そのようなものとして、<資本>は運動しているのではないか。…………と、あーだこーだ「対テロ戦争」について思考しているときにも、ソマリアにおけるイスラム法廷の掃討とその復活、死者400万人を数える20世紀最悪の紛争たるコンゴ紛争の更なる泥沼化、国際政治上のマターにのぼってこない不可視の領域たるアフリカについて、著者は読者の意識を喚起する。――もしかしたら、<権力>の空白地帯は、グローバリゼーションのもと、徹底的に“排除”されるということなのかもしれない。