飯尾潤『日本の統治構造』(中公新書)レビュー

日本の統治構造―官僚内閣制から議院内閣制へ (中公新書)

日本の統治構造―官僚内閣制から議院内閣制へ (中公新書)



 
日本政治の流動化は避けられない状況下であればこそ、いっそう読まれるべき、日本における「統治構造」講義。比較政治学のカテゴリーに留まらず、わが国の権力中枢の社会学的アプローチとしても読める。本書のサブタイトルは、「官僚内閣制から議院内閣制へ」だけれども、「官僚内閣制」というのは単なる当てこすりの評言ではない。「官僚制」は実際、「自己完結せず、むしろ社会諸集団の結節点として機能している」のだ。つまり、「官僚集団は、関係する社会集団と密接な関係を持ちつつ、独自の利益媒介経路を持っているのである」。ということは、「官僚制」とは、ある種の特権による支配構造のことではなく、各地方公共団体や所轄の業界団体などの意向を政策に反映させるシステムであり、むしろ官僚は「社会的な利益の代弁者」たることを要求されるのである。まさにアレントの“社会的なるもの”の席捲というに相応しい事態だけれども、これによる「官僚内閣制」とは、「議院内閣制」のどのような権能を阻害するのか。それは、「有権者から国会議員・首相・大臣・官僚」の順に「権限委任の連鎖」が生じることにより、「官僚の行動を有権者が最終的にコントロールできる可能性が生まれる」のが、この「大臣」が逆に「官僚=省庁」の代理人として振る舞ってしまうということにより、「権限委任の連鎖」が断ち切られてしまうことにある。そして、この「官僚内閣制」を実質的に支えているのが、内閣法第三条に規定される「分担管理原則」なのだ。なんとなれば、これを「強く解釈」すると、内閣総理大臣は、戦前体制の如く「同輩中の首席」に堕せしめられるからだ。…………と、ここまでは、本書のまだ前半で、これから「政府・与党二元体制」の分析や、各国の「統治構造」の比較を経て、然るべき政治改革の像を著者は示す。著者の意見に賛同するかどうかはともかく*1、この国の“政治”における逼塞感の拠って来るところを見据えるという意味において、本書は必読である。

*1:たとえば、著者はいわゆる「二院制」について、「議院内閣制の貫徹のためには」、「一院制」へ移行するか、第二院が第一院の権能を超えることのないようにする、と論じ、現行の日本の「二院制」については、参議院衆議院と対立しない領域において権限を強化して、就中、政党対決型の衆議院に対して、参議院は「政党対立を弱め」「超党派合意の形成」に力点を置く、とするならば、いっそのこと、参議院議員はすべて無所属、とすべきではないか。私は、そのほうが参議院の独自色が覿面に出ると思うけれども。