酒井信『最後の国民作家 宮崎駿』(文春新書)レビュー

最後の国民作家 宮崎駿 (文春新書)

最後の国民作家 宮崎駿 (文春新書)



 切通理作宮崎駿の「世界」』を総体的な作家論とするならば、本書は「国民作家」としての宮崎駿、というより、宮崎を「国民作家」に押し上げた「平成日本」という局所的な時代精神を閲する。著者は、宮崎の作家性の基底にあるものとして、「もの」「仕事」「風景」の三要素を抽出し、そのそれぞれのオリジナリティを宮崎の来歴から汲み出す。「平成日本」では、これらはすべて均質化し、この「現実感覚」を喪失してしまった。「いつの時代であっても子供は、大人が「下らない」と思って見過ごしているような」これらに、興味を持っており、このことを通して「社会と関わっているものである」。このような社会的原体験の回復という願望を、「国民」的無意識として措定するのは、たぶん正当で、ここのところは浅羽通明などの問題意識と通底するものだろう。もちろん、日本アニメが「現実感覚」を回復するものばかりになってしまっては、つまらないわけですが。