リチャード・クー, 村山 昇作『世界同時バランスシート不況―金融資本主義に未来はあるか 』(徳間書店)レビュー

世界同時バランスシート不況―金融資本主義に未来はあるか

世界同時バランスシート不況―金融資本主義に未来はあるか


 
 先日、某フリーター氏が週刊誌のコラムで、インフレを起こせデフレは金持ちを喜ばすだけだ、とそれ自体正しい認識だけれども、まるで先行世代の相対的にカネを持っている人間たちが、既得権を守ろうとしてデフレを起こしているみたいな、被害妄想丸出しのことをのたまっていた。リフレ派の経済学者と対談しただけで、ここまで言い切るかなー、と思えど、肝心なのは、インフレが起こっても、給料・所得が上がらなければ、ますますビンボー人になる可能性に、なぜか思い至ってない点で、まあ、カワイソーといえばそうなんだけれども。私自身はリフレ派の主張に一定の理解を示すけれども、それは、むかしのクルーグマンみたいな調整インフレ一辺倒ではなく、金融と財政のポリシーミックスを謳っているからだ。――で、本書は、世界を股に掛けるエコノミストの従来の主張である「バランスシート不況」が、90年代日本だけでなく、いまや世界同時に拡がった、という主張。バブルが崩壊して民間が借金返済に走り、資金需要が激減している状態で金融緩和したって、誰もカネをかりてくんないだから、政府が国債発行して、銀行から資金調達して、公共事業やらなきゃしょうがないじゃん、ということで、要するに財政一辺倒なんだけれども、リフレ派の急所を突いているのは間違いない。バーナンキクルーグマン、竹中の平ちゃんへの批判も口を極めているけれども、G20のウラにワタクシありと言いたそうにしているのは、まあ御愛嬌。共著者の村山が担当している第2部は、文明論レベルで興味深い考察で、バブルについては、金融資本主義が浸透した世界で、投資されたお金に見合った技術革新が起らなかったときに、バブルが発生するとしている。著者らが提案する金融規制の方向性に世界が進むのかどうかわからないけれども、いずれにせよ、本質的にカネは紙切れで、大事なのは、経済システムを通じて、モノやサービスが国民にふんだんに供給されるか否か、なんだよね。