湯浅誠『岩盤を穿(うが)つ 』(文藝春秋)レビュー

岩盤を穿(うが)つ

岩盤を穿(うが)つ


 
 この版元から、著者の本が出ること自体、寿がれることです。『諸君!』廃刊(休刊だっけ)以後であることを考えると、なおさら感慨深いものがあります。「貧困」という問題は、実はそれ自身が“問題”化しないことにあった。見ようと意識しなければ、見えない。しかし、巻末に掲載されているデータが示すとおり、日本はアメリカを超えるワーキングプア大国だ。労働力の安売りは、労働市場をますます劣悪化させる。手持ちの資金が底を尽きれば、求職活動すら覚束ない。暗澹たる情況のレポートならいくらでもできるが、情緒に訴えるだけでは、たとえばあの「自己責任」というコトバの魔力からは、人々は解放されない。だから、ロジックが必要になる。「「貧困ビジネス」はなぜ悪いのか?」「自己責任のグラデーション」の文章に、著者の「活動家」としての知性を見る。私見だけれども、「貧困」の不可視化や「自己責任」論の台頭は、新自由主義というだけでなく、この国が高度成長期の幻影に呪縛され続けていたのが遠因にあると感じる。富の増進というリアリティが国民に共有されていた時代の感覚がなおも息づき、「貧困」という情況の認識がネグレクトされたのだ。しかし時代は、昭和三十年代リバイバルという甘やかなノスタルジーを許さなくなってきた。政策の不作為の責任追及は、まず私たちが生きるためになされなければならない。