浅羽通明『天皇・反戦・日本』(幻冬舎)レビュー

天皇・反戦・日本―浅羽通明同時代論集 治国平天下篇

天皇・反戦・日本―浅羽通明同時代論集 治国平天下篇



 
著者のニューズレターの読者ではないけれど、在りし日の『宝島30』の読者であったので、近作『ナショナリズム』『アナーキズム』『右翼と左翼』を世に問うて、犀利な批評意識を“新書”というメディアでも展開してくれたのは嬉しい。本書は、著者が今まで発行したニューズレターのなかより、タイトルどおりのテーマのエッセーを収めたもの。昭和天皇崩御から湾岸戦争対テロ戦争に至るまで、収録エッセーは、「王立宇宙軍オネアミスの翼」からソクーロフ「太陽」までの二十年史が本書のテーマに沿って把握できるように選択されている。が、著者がイラク侵攻にあたり「ロシアン・ルーレット計画」を目論んでいたというのは、ちょっと面食らった。だけれども、確かに、「反戦デモ」を自己満足の領域から連れ出し、真に実効的な手段を模索するならば、ここまでラディカルになるしかないのである。要するに、“反戦”の理想主義が、「死」を隠蔽するかぎり、「死者」(=「最大の弱者」)というカードさえ、戦争政策を遂行しようとする政府側に捕られっぱなしという事態(つまり「死者」の顕彰)に陥るのだ。――しかし、「どうにも、相手が一枚上手」、小泉内閣は、自衛隊員を「戦死」させるつもりは毛頭なかったのであった…………自衛隊員も、生‐権力が及ぶという意味で、<国民>であった、ということか。ともあれ、「戦後民主主義」という怠惰な理想主義をプラグマティックな観点から批判しつつ、“現在”の諸相から、この国の新たな社会的展開=転回を模索する。とりわけ、「自己責任」の社会的意味性の転回を指摘した「反戦の技法3――「自己責任」呼ばわりから新たな中世へ」、同じく「戦争」についてのそれである「テロルの技法――携帯電話を持った個兵の時代」、そして巻末「祝祭と定常化へ向かう日本――小泉純一郎ライブドア騒動」は、集中の白眉。…………なんだけれども、著者の靖国論である「靖国歴史認識」には、やや承服しかねる。著者は、「靖国」を「革命戦士顕彰碑」と見立てているけれども、即ち「皇国」側が「革命」の本義を決するという見立てにおいては、戦後左翼運動がいかに反米ナショナリズムであったとしても、この“革命”運動をフォローするのは無理だろう。