鴨下信一『名文探偵、向田邦子の謎を解く』(いそっぷ社)レビュー

名文探偵、向田邦子の謎を解く

名文探偵、向田邦子の謎を解く



 テレビドラマの名演出家であり、ミステリ読者としても知られている著者が、長年の盟友だった向田邦子のテクストの精読を通して、彼女の深層心理に迫り、向田作品の物語の原型、原風景を現出させる。向田の急逝後、三十年経った現在でも、彼女の作品は根強く支持され続けているが、著者は、向田作品が「本当には読まれていない」と、疑念を呈する。向田作品が日本人の美徳や懐古趣味に訴えるのは確かだが、それより彼女は「ただ家族・家庭というものの〈真実〉を書いた」。著者は、向田作品を、そのアクチュアリティにおいて救うべく、逆説的に、向田の生きた“時代”に焦点を当てる。「彼女の中には、戦争中から戦後何十年を経た日本の〈時代〉が層になって判然とある」。このような、向田の中の“時代”性を読み解くのに、著者自身の人生経験が有用な武器になっていることにおいて、本書はその真価を発揮する。とりわけ、東京大空襲についての言及と、「取り替え」というコトバに関するくだりは、向田のテクストのリアリティを抉り出して、一瞬絶句するほどだ。著者の浚った、向田という作家像・人間像の世間に流通しなかった部分の詳細は、本文を読まれたいが、向田邦子にしても“時代”の渦中で翻弄されながら、しかし新しい“時代”の追い風を逃すことなく、自身の強靭な記憶力で「家族・家庭」の原型を再生しながら、来るべき“時代”の倫理観を手探りで追求していったのだろうと思った。