早野龍五 糸井重里『知ろうとすること。 』 (新潮文庫)レビュー

知ろうとすること。 (新潮文庫)

知ろうとすること。 (新潮文庫)



 ぼくは、じぶんが参考にする意見としては、「よりスキャンダラスでないほう」を選びます。「より脅かしてないほう」を選びます。「より正義を語らないほう」を選びます。「より失礼でないほう」を選びます。そして「よりユーモアのあるほう」を選びます。(「もうひとつのあとがき」より)

 “他者”に差し向けるコトバを、“他者”に届かせるために、必要なプロセスは何か。
 コミュニケーションは、“政治的なもの”と不可分にあるのは、必然的である。しかし、コミュニケーションが政治的エコノミーに蚕食される必然性は、ない。
 上記の五つの基準は、「正義」の「語り」なるものを相対化することを軸に、「スキャンダラス」なのは「ユーモア」がない、「脅かす」のは「失礼」である、と言っているのだ。
 そのコミュニケーションが、救済でありうるのか、簒奪でしかないのか、その分水嶺は、「正義」がイデオロギーではなく、いかに公正さに基づくものであるかの配慮、にあるのだと思う。