「さて死んだのは誰なのか」

 哲学者の池田晶子さんが他界してから一月が経った。あわてて彼女の著作を読み返しているのだけれども、どのエッセイも森羅万象すべてを<存在>という“謎”に換言=還元していく姿勢は全然ぶれることなく一貫しているのだけれども、そうであるからこそまた取りとめもない印象をワタシのようなボンクラな読者にあたえてしまうのも事実で、しかしこのことがアポリアに安直かつ単純な“答え”を求めるこちら側のあさましさを彼女が抉り取っていることの証左でもある。アポリアに対して“答え”を差し出すことをはぐらかし続けるのはデリダの戦略だけれども、彼女ははっきり「私が語っているのは、あくまでも存在の謎であって、いかなる解答でもない」(『ロゴスに訊け』より)と宣明している。要するに、「存在の謎」へと至る思索の道筋はつけて示す、ということだ。「存在」は「謎」である、というのは“答え”ではないが、“真実”である、あるいは端的な“事実”である、と。池田さんが最後に読者を促すのは、「あとは自分で考えよ」というのではなく、「だからあなたは考えなければならない」というメッセージのうちにおいてである。…………池田晶子さんの“存在”を知ったのは、実は某ホシュ論壇誌である。ここで、反吐がでるような“出来事”があって、以来、彼女がいうように、「自分の青春がたまたま戦争の時代にあったというそのことによって、青春を懐かしむことと戦争を懐かしむこととを論理的に峻別できないそういう方々を、人生の先輩として尊敬する気にはならない」。*1『睥睨するヘーゲル』参照。付言すれば、真面目な青年の真っ当な“問い”に対して、老人たちに集団リンチ的言論を煽ったのは、編集部である。大塚英志が、読者の投書欄を充実させたことが、ホシュ論壇誌サヨクのそれより伸張した理由である、と指摘していたけれども、論壇誌が「翼賛会」的体質を維持し続けることで肥大化し(全体主義下で“ジャーナリズム”が利益を飛躍的に伸ばしたのは古今東西変わらぬ現象だ)、「公論」を独占したことの弊害は、内藤朝雄が『いじめと現代社会』で指摘したとおりである(事情はサヨクでも基本的には変わらない)。
 …………それにしても、『週刊新潮』3月15日号に掲載されたコラム「人間自身」の最終回、である。「墓碑銘」と題されたそれは絶筆のものではないみたいだけれども、それにしても、だよなあ。とある墓碑銘に刻まれた「次はお前だ」という文句。「他人事だと思っていた死が、完全に自分のものであったことを人は嫌でも思い出すのだ」。それならば、彼女自身は墓碑銘になんと刻むか。「さて死んだのは誰なのか」。…………<存在>が「謎」ならば、「存在しなくなる」のは「謎」が消滅することでは、当然ない。また新たなる「謎」でもない。これもまた、「存在の謎」へと包摂されるのだろう。「さて死んだのは誰なのか」。“死者”は<存在>を遺して、<他者>の彼方へと過ぎ去っていくのである。*2
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睥睨するヘーゲル

睥睨するヘーゲル

ロゴスに訊け

ロゴスに訊け

*1:「利口なヤツはたんと反省するがいい。俺は馬鹿だから反省なんぞしない」とのたまった小林秀雄の痛烈な皮肉には、彼女は充分自覚的であるからこそ、だ。

*2:私だったら、墓碑銘に刻むコトバは…………「忘れてました」かな。

*3:3/25追記。いや、「想像も出来ない事態です」のほうがいいか。