関岡英之 和田秀樹『「改革」にダマされるな!』(PHP)レビュー

「改革」にダマされるな! 私たちの医療、安全、教育はこうなる

「改革」にダマされるな! 私たちの医療、安全、教育はこうなる


 
 平成「構造改革」批判の決定版。あまりにもベタなタイトルに見くびることなかれ、一読、この国のエスタブリッシュメントたちのヘタレ加減に、オーマイゴッド状態になりますから。ていうか、ホントに、平成「構改」派=ネオリベ革命派の政財官のみなさま方は、この国がよほど憎いのだろうねえ。経済はもとより医療、食糧、教育とわが宗主国サマのご意向を平身低頭拝聴して、挙句の果てに、国立大学の入学月をわが宗主国サマと同じ9月にするなんて。で、入学するまでの期間、奉仕活動させるんだと。こりゃ、あと十年もしないうちに、年度始めがまちがいなく9月になりますな。となると、最終決算期が…………
 著者のふたりはどちらかといえば保守派に属する論客だけれども、例えば左派系の反グロ本が、いたずらな抽象的理論とあとの足りないトコロはプリミティヴな感情的動員に頼っているのに対して(もちろんそうでないのもたくさんありますが)、保守系の反グロ本が、わが“日本”の文化的・精神的優位を言上げ(要するに、ゲマインシャフトゲゼルシャフトの確信犯的混同)、その証拠物件として数々の比較事例が挙げられるのだけれども、本書の場合、それが戦後の給食政策から遡って、わが“日本”の植民地的従属状態の具体的事例をこれでもかと突きつける。『国家の品格』は左派系のみなさまにも好評だけれども、本書には鼻白むひとも多いかもしれない。――本書にも言及があるように、モノづくりにおいてアメリカは日本の後塵を拝したわけだけれども、換言すれば、フォーディズム体制は冷戦下で、「町人国家」を志向した日本の経済大国化に帰結する。そこで、アメリカはポスト・フォーディズムとして、情報・金融システムを再構築することで、現代資本主義を統べる<帝国>を表象する存在となる。アメリカの<帝国>化は、最終的にはクリントノミクスの下で完成するが(ネグリ=ハート的<マルチチュード>の第一の仮想敵はビル・クリントンだった)、「年次改革要望書」はもともとクリントノミクスの産物である。ポスト・フォーディズムにおいては、固定した労働制度は廃棄され、企業は時間・賃金において融通のきく労働力を欲する。即是、フラット化する世界、と相成るわけだけれども、海外へ展開したメーカーの技術流出問題がクローズアップしてきて、むやみな資本の国外移転に歯止めが掛かりそうな気配も出てき始めている。これが国内労働者の待遇改善につながるかどうかはまだ心許ないものの、本書の巻末で触れられているように、日本の貿易依存度はじつに一割前後、日本経済はあきらかに国内マーケットの伸縮に左右されるのだ(この貿易依存度はアメリカと同レベル)。前川レポートに象徴される無根拠な内需拡大策が、バブル後の不良債権問題と財政赤字拡大を産み出したトラウマが、ネオリベ改革=平成「構改」派の台頭を促すけれども、供給側の体質改善がいくら進んでも、需要が縮めば、売れ残ったモノは最終的にはゴミとなる。「まえがき」で和田は、「大衆が日本より貧しくなったアメリカは、値段を高くすると売れないために、日本よりいいモノをつくれなくなって、製造業が競争力を失った」と述べているが、<貨幣>が個々の<商品>に対する投票権の機能を有している以上、“貧困”という<商品>に対する投票行動の実質的制限が前面化すれば、<商品>における品質競争が阻害されるのは火を見るよりも明らかだ。著者たちが、日本のマーケットで通用する<商品>は中国・インドにも波及するので、だから日本のマーケットを支える「中流」層を下支えするべきだ、というのは大正論ですね。…………ともあれ、「愛国心」を涵養するに最適な良書。とりあえずは、国立大学の9月入学をなんとかせねば。