東野圭吾『聖女の救済』(文藝春秋)レビュー

本日のエピグラフ

 「だけど僕は科学者だからね。心理的に不自然な説と物理的に不可能な説では、どっちを選ぶかと訊かれれば、多少抵抗はあっても前者を選ばざるをえない。(…)」(P196より)

聖女の救済

聖女の救済


 
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トータル42


 件のX論争の余波からか、本書の書評に、どこぞの何某に対する(笑)ビミョーな当てこすりを含んだよーなそーでないよーな、そんなニュアンスを持つものが少なくないようなのですが、もっと素直に論じないと、本作の美点を論じ逃すような気がします。いわゆる「未ОООО」テーマを逆手にとって、探偵小説・本格ミステリにあらまほしき“ありえない論理”を紡いでみせた。そして、犯人が“ありえない論理”を構成したのは、被害者の採用している“論理”がまた“ありえない”ものだからである。目的のためなら手段を選ばぬ、というか、目的と手段の現実的な均衡を著しく欠いているという意味では、本作の被害者と『献身』の石神は、実は双子の兄弟であるともいえる。“ありえない論理”を行使しようとする男に対して、女はそのロジックをそのまま裏返すかたちで、逆襲するのである。正に、『救済』は、『献身』の正統的な続篇なのだ。