清水義範『福沢諭吉は謎だらけ』(小学館)レビュー

福沢諭吉は謎だらけ。心訓小説

福沢諭吉は謎だらけ。心訓小説



 
今もなお世に広く流布する「福沢心訓」。この“心訓”は、福沢諭吉の手によるものではないとされるが、それでは、この“心訓”の真の<作者>は、一体誰か? 「文学探偵」の探索の果てに見出された真相には、高田祟史や鯨統一郎も思わず仰天!? …………近代日本にとっての福沢諭吉という人間は、日本の<近代>にとってのオクシデンタリズムを体現する存在であるのは、論を俟たないだろう。福沢に対する近代日本人の屈託は、すべてここに由来する。福沢がアジア侵略のイデオローグであることに異論を唱えた平山洋福沢諭吉の真実』が本書でも言及されているけれども、清水が言うように、一連のアジア蔑視論が福沢の名を騙ったものであるという平山の説が、たとえ覆されたとしても、脳卒中発病以前と以後の言説のスタンスにおける「二枚舌の福沢を受けいれるべきである」というのは正論だろう。福沢を排外主義的イメージに糊塗した礎となった『脱亜論』は戦後に“発見”された。“戦前”の価値観の否定のために、竹内好のように“アジア”にコミットするか、“戦前”こそが“アジア”的後進性の表れとして更なる「脱亜入欧」を目指すか、この点が“戦後”における思想の分水嶺のひとつであった。福沢的なるものは、「未完のプロジェクト」としての<近代>を日本に(再)照射する際に、やはり未だ立ち上がってくるのだ――「妖怪」だなんて申しませんが。だから、福沢諭吉はいわば、<メディア>ではないのか、日本の“輸入<近代>”を未だ「広告」するものとしての。「福沢心訓」を実践すれば、「資本主義の精神」の一丁あがりぃ〜ってな具合になること必定でしょ。 …………いずれにせよ、本書はワタクシ的2006年度バカミス大賞作品であり、本ミスベスト10投票締め切り前に読んでいれば絶対に一票入れたのに。